人がやらないことをする意味

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先日、DVDで「容疑者Xの献身」を観ました。
数ヶ月前にも放送され、痛く感動して永久保存版として、HDDに録画してあったのですが、嫁に消されてしまっていました。
改めて鑑賞し、やっぱり東野圭吾はすごいと思いました。
トリックやギミックの精緻さではなく、人間の弱さを描いているところに惹き付けられるのです。

容疑者Xこと石神は、天才数学者でありながら、親が倒れたために研究の道を断たれ、平凡な数学教師をしていました。内向的な性格で、生きる目的を見つけられずにアパートで首を吊って自殺しようとしていたところを、隣りに引っ越して来た親子(母と娘)の転居の挨拶で止められます。その後、石神は、この親子のフレンドリーな接し方に救われ、「生きよう」と思います。
物語は、この後、逃れたDVの夫に転居先を見つけられ、親子で殺害した夫を、石神がその頭脳で完全犯罪に仕立てます。石神が親子を助けた動機は、自分自身に生きる喜びをくれた親子への恩返しです。
最後は、石神が全ての罪を被ろうとして終わります。

誰しも人生の中で一度は、「生きる意味」を見出せなくなったことがあると思います。
そういう私も、私の代わりなんていくらでも居るし、何のために生きるのか悶々とした時期がありました。また、他者と一切関わりのない生活は悲しいものです。前にも書きましたが、私は約4年間、他者と関わりのない生活を続けました。
だから、私は、他の人では代わりの効かない人生を送りたいし、人に必要とされたい。
それは、面白いことを待っているのではなく、面白いことを自ら作っていく人生です。
そして、仕事だからと割り切ることなく、仕事もプライベートも充実させる生き方です。

そのことに改めて気付いた物語でした。

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